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広島家庭裁判所 昭和41年(家)949号 審判 1966年9月26日

申立人 高村康(仮名)

相手方 高村秋雄(仮名) 外一名

主文

相手方高村秋雄は申立人に対し扶養料として昭和四一年七月より同年八月までの間、一ヶ月金三万五千円也合計金七万円也を即時に、同年九月以降毎月末日限り金三万五千円也宛をいずれも申立人住所に持参又は送金して支払え。

相手方砂川良は申立人に対し、広島市○町一五八三番地砂川ビル内D一号室を提供し住居に関する費用一切を負担して扶養せよ。

本件調停並びに審判手続費用は各自弁のこと。

理由

一、申立の経緯

申立人は昭和四〇年一二月六日相手方両名に対し扶養料として毎月金七万円也を連帯して支払うことを求める調停を申立てたが、相手方高村秋雄は調停に応じないので調停は不成立となり、昭和四一年七月四日審判手続に移行した。

二、当事者の主張

(イ)  申立人の主張-相手方高村秋雄は申立人と亡夫高村恒夫間の長男で、相手方砂川良は同じく二女である。申立人は亡夫恒夫が昭和七年九月三〇日死亡後、幼ない相手方両名を抱えて亡夫の遺産の運用等で生活し且旧来の高村家としての体面を維持しつつ、相手方高村秋雄には医学高等教育を終えさせた結果、同人は昭和三六年一二月耳鼻科医師として現住所において開業し、又相手方砂川良は昭和二九年産婦人科医師砂川隆一に嫁ぎ同女は申立人が与えた広島市○町所在の宅地をも利用して夫隆一らと貸ビル(砂川ビル)を経営し、相手方はいずれも裕福な生活を続けている。申立人は相手方砂川良を嫁がせた後も相手方高村秋雄と同居し、同人が妻帯した後も引き続き同人と同居していたのであるが、自分の生活費は亡夫の家督相続によつて取得した相手方高村秋雄所有名義の同市○町一六三番地の一所在家屋店舗兼居宅及び倉庫を他人に賃貸し、その収益をこれに充当し、そのことは相手方高村秋雄もこれを認めていたところであるが、賃貸料の問題について同人と意見の衝突があつた後は、相手方高村秋雄が賃借人に立退きを求めて空家にしてしまつたため、昭和三八年一二月以降は申立人は賃料収入の途を絶たれて無収入となり、且相手方高村秋雄らとも円滑を欠くようになり、同人らとの同居も困難となつたのでその頃より相手方砂川良の許に寄寓し、翌三九年三月同女らの経営する砂川ビルの一室に居住し現在に及んでいるものである。現状では住居に関しては相手方砂川良の全額負担で一応確保されているものの、衣、食に関しては全く保障がない。申立人は高齡であつて就労はできないし恒産なく、昭和三八年一二月以降は手持現金や株式の売却代金ならびに昭和三九年六月より翌四〇年六月の間の相手方砂川良の毎月金二万円の送金等で生活を維持してきたのであるが、申立当時の手持資金も漸次乏しくなり、本年に入つて殆んど消費してしまつた。申立人は亡夫恒夫が医師として可成りの社会的地位をもつていた関係上、その遺族としての体面を保つため今なお交際範囲も相当広く、従つてその交際費も日常生活費として必要であり、住居費を除いたこれら毎月の生活費用は金四万円余で、更に相当被服費も必要とするので、これらを合算して申立の趣旨の額を請求する。

(ロ)  相手方砂川良の主張-相手方砂川良は夫隆一の医師としての収益で、子二名及び姑らと同居し生活しているが、生活は全部夫隆一の収入に依存していて、相手方砂川良自身の収入はない。只申立人より貰い受けた前記○町の宅地は夫隆一らの経営する株式会社砂川ビルに提供しているので同会社の役員に就任している。申立人は相手方高村秋雄との紛争で同人の許を出たので、やむを得ず砂川ビルの一室を申立人に提供してその家賃月一万六千円及び光熱費、電話料等住居に関する費用月五千円程度を、一切相手方砂川良において負担しているが、申立人の性格上、同人が同所に永住されることを希望しない。しかし申立人を扶養すべき義務及び現に扶養の必要のあることは認めるが、具体的な程度方法については相手方高村秋雄が予ねて申立人を扶養する旨述べていた経緯もあるので、今更相手方砂川良のみが申立人を一切扶養することは到底納得しがたいところで、当然相手方高村秋雄との関係で互に扶養料を分担すべきで、一方的に、自分が全部負担するべく決められるものではない。

(ハ)  相手方高村秋雄の主張-同人は調停期日の呼出しに応じないし且審判手続の審問期日にも出頭しないので、その主張するところは不明であるが、不参の事実及び出頭勧告に当つた当庁裁判所書記官住久義之作成電話聴取要旨、当庁家庭裁判所調査官新延誠之助作成調査報告書によれば、申立人の扶養に関しては申立人より土地を貰い受けた妹砂川良(相手方)が扶養すればよいのであつて自分は請求に応ずる意思はない旨が推定される。

三、事実認定

申立人、相手方砂川良の陳述、同人ら提出戸籍謄抄本、土地並びに家屋課税台帳登録事項証明書、登記簿謄本、当庁家庭裁判所調査官相田肇作成調査報告書及び申立人高村康相手方高村秋雄間の当庁昭和三九年(家イ)第二七八号所有権移転登記手続等調停事件記録(昭和三九年五月二〇日取下により終了)等を綜合すると、次の事実が認められる。

(イ)  申立人の生活状態-申立人は現在六六歳であつて、高村恒夫と昭和三年五月二三日婚姻し、同七年九月三〇日夫に死別したが、その間に長女玲子(昭和三年六月一三日死亡)長男秋雄(相手方)及び二女良(相手方)を儲け、夫死亡後は相手方高村秋雄が家督相続した亡夫の遺産である不動産による収益でもつて相手方両名を養育し、先づ昭和二九年相手方良を産婦人科医師である現在の夫隆一の許に嫁がせ、次いで昭和三三年に相手方高村秋雄を妻帯させ、耳鼻科医師を開業している相手方高村秋雄夫婦と広島市○町所在の同人らの居宅に、昭和三八年一一月まで引き続き同居していたのであるが、その以前から相手方高村秋雄所有名義の広島市○町一六三番地の所在木造セメント瓦葺二階建店舗兼居宅一棟(建坪一八坪七合五勺他二階九坪三合七勺)及び亜鉛メッキ鋼板葺平家建倉庫(建坪九坪)を、親子間で協議の上申立人において差配し、その賃料-最終頃は二棟分で一ヶ月六万円-を収受し、他の不動産の公租公課をも支払つた残額を申立人自身の生活費に充当し、かなり裕福に生活して来たが、その頃右家屋の賃貸料値上問題から相手方高村秋雄と意見が衝突し、感情的にもあれこれと同人らと同居できない状態となり、それ以降相手方砂川良方に移り、昭和三九年三月以来同女の提供する砂川ビルの一室-六畳、四畳半、三畳、台所において独居し、その居住費は相手方砂川良が全額負担しているも、申立人には自分名義の不動産はもちろん、さしたる資産もなく、かつての上記賃料の収入も期待できないので、衣、食面の生活費は手持現金、株式の換金、相手方砂川良の送金等で現在までその生活を維持してきたことなど、申立人の主張するとおりであつて、今やその手持資産も消費して皆無に近い状態である。

申立人は現在少年保護司に任命されて社会事業に参与し、時には国勢調査等公共機関の調査員或いは選挙投票立会人に任命される等市井にあつては一応名望、有識者として、かなりの社会的地位を有しているから、交際範囲もかなり広く、従つてその地位体面を維持するには、一般の単身老齡者の生活費以上のものが必要であつて現に申立人の要する毎月の費用(住居費は相手方砂川良負担)は主、副食、間食費約一万三千円、医療保護衛生費約一万六千円、交際費約五千六百円、教養費二千五百円、その他交際費、仏事等約四千円計約四万一千円であつて年額金五〇万円程度と認められる。

(ロ)  相手方砂川良の生活状態-同女は申立人の二女であつて砂川隆一と婚姻し長男行夫外夫の母らと同居し、夫の医師の収入月約四〇万円でもつて生活し、相手方砂川良自身の収入は皆無であるが、昭和三九年三月以降株式会社砂川ビル(貸ビル)の経営者の一員であつて役員の関係から申立人に対し住居として同ビルの一室(居室三部屋、台所)を提供し、且その一切の住居に要する費用を負担し得るものと認められる。又夫ら家族の協力をもつて、申立人に対し昭和三九年六月より翌四〇年六月まで月二万円宛、同年年末及び昭和四一年七月に各一万円宛送金したこともあり、通常の生活費は全て夫の収入に依存しているとは言え、その共同生活は上位の生活状態に在るものと認められる。

(ハ)  相手方高村秋雄の生活状態-同人は申立人の長男であつて現住地宅地九六坪三合八勺を所有する外、同地上に木造瓦葺平家建診療所兼居宅一棟(建坪三四坪三合七勺)の資産を有し、同所において耳鼻科医師として開業しその収入は、公的には昭和四〇年一月より同年一二月の一年間の総収入五五三万円余(月割一ヶ月当り四六万円)で課税対象とされる医療による診療所得の額は一五六万円即ち一ヶ月当り一三万円と推定され、且同人にはその他不動産として前記○町一六三番地の一宅地四二坪三合三勺同地上家屋番号同町一六三番の一、木造セメント瓦葺二階建店舗兼居宅一棟(建坪一八坪七合五勺他二階九坪三合七勺)及び木造亜鉛メッキ鋼板葺平家建倉庫一棟(建坪九坪)があり不動産所得として同年一年間四六万円一ヶ月当り三万八千円が認められるが、この不動産中電車道路面側の事務所向きの部分は末だ空家であつて未利用の状態にあるから、将来賃貸を始めるならばかつて申立人が収受していた額月六万円(所得としてはこれから必要経費を差引くことになる)程度の収益は容易に期待し得られる。

いずれにしても相手方高村秋雄は自己の営業所得及び不動産所得の合算額年二〇二万円、一ヶ月当り一六万八千円でもつて、妻子二人の家族と共に生活しているが、医師としての社会的地位もあつて交際範囲も広く、可成りの生活費を必要とするもかなり余裕ある生活状態に在るものと認められる。

四、判断

扶養の必要は、扶養権利者が自らの労務、資産によつて生活できない状態にあることをいうのであつて、その程度方法は、扶養権利者及び義務者の各生活程度、社会的地位、教養程度、資産、収入その他両者に存する一切の具体的事情を綜合勘案して判断しなければならないところ、本件について上記認定の事実より判断するに、

(1)  申立人は既に六六歳の高齡にあり、従来の生活歴や親族関係などを考えると、今直ちに自ら労働に従事して生活費を得るべく努力することを期待することは困難な環境であり、かといつて今後生活を維持するにたる恒産はなく、現在では手持資金すら無い状態で、まさに生活が困窮の段階にあり、扶養の必要があるものと判断される。そしてその程度方法は申立人が昭和三八年一一月まで収受していた相手方高村秋雄名義の前記○町一六三番地の一所在家屋の賃料月六万円のうち公租公課を控除した残額でもつて自己の生活費を賄つていた経緯に鑑み、且申立人の現に要する生活費月四万円余及びその住居費相手方砂川良が負担する月二万円合計金六万円余を考え合せるに、この程度の額によれば安定したむしろ余裕ある生活ができるのであるが、上記諸般の事情を勘案するときは申立人の生活費は、住居費を除いて月三万五千円程度を相当と判断する。

申立人は現に支出する生活費には特に被服に関する主要な支出は計上できないから、その額も考慮されたい旨の主張があるが、申立人の年齡、社会的地位等から考えると本件扶養料の額の算定については特段に右費用をも計上するのは相当でないと考える。

しかし、申立人において生活の必要額が算定されたにしても義務者においてその額を支払う能力がなければ扶養の義務はない。成年の子と親とのいわゆる親族扶養では義務者が自己(共同生活者を含めて)の生活を維持した上でなお余力ある場合にのみ扶養義務があるのであるから、本件の場合について相手方らにつきその点の判断をする。

(2)  相手方高村秋雄は前述のように医業収益月一三万及び不動産所得月三万八千円計月一六万八千円でもつて妻子二人と共に生活しているが、同人には現在の診療所兼居宅並びにその敷地及び前記○町一六三番地の一宅地及びその地上にある家屋二棟の外には不動産は存在しないのであるから、この不動産所得の生ずる物件は、この地上に在る家屋二棟(一部は空家で未利用)と断定し得られるところであつて、この家屋から生ずる所得は、かつて親子間協議の上申立人が収受して自己の生活費に充当し、所有名義人相手方高村秋雄もこのことを認めていた関係もあつて、昭和三八年一二月以降は相手方高村秋雄が収益しているのであるが、今その所得の一部を再び親である申立人に支払うようになつても同人の経済生活を特に圧迫するものとは考えられず、この程度の金額を支払う経済的余力は十分あるものと判断する。

又、砂川良は、直接自己の収入はないにしても、昭和三九年三月以降現に申立人に夫隆一らと共同経営する株式会社砂川ビル(敷地は相手方砂川良が提供したもの)の一室を提供し、その家賃並びに光熱費等住居費一切月二万円程度を負担しており、これが同人らの経済生活を直接に圧迫する程度のものとは考えられず、既に任意に自己の能力に応じて扶養している状態に在ると判断する。

依つて敍上の理由により相手方高村秋雄は申立人の扶養必要状態の発生したと認められる昭和四一年七月より毎月申立人の必要生活費金三万五千円也を毎月末日毎に支払うべきであり(従つて既に期限の到来した同年七月及び八月分は即時支払うこと)相手方砂川良は現に扶養の程度方法として履行中の申立人の現在居を提供し、住居に関する費用を負担しているも、申立人としては、これを権利として確定することは必要なことであるから、以上当事者双方の生活状態、社会的地位、教育程度、資産収入状態その他諸般の事情を勘案し主文のとおり審判する。

(家事審判官 竹島義郎)

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